個別療育に通い始めて、少しずつ、
「ぱんだは、どうしてこんな行動をするんだろう」
そんなことを知り始めた頃。
自治体の心理士さんから、こんな提案がありました。
「個別療育だけではなく、小集団の療育も一緒に受けてみてはどうですか」
当時の私は、療育のことなんてまだまだ分からないことばかり。
個別と小集団。
その違いすら、今ほどよく分かっていなかったと思います。
でも、
「ぱんだのためになるなら」
そう思って、相談員さんに話してみることにしました。
「とても熱心なところがあります」
相談員さんが教えてくれたのは、少し離れたところにある小集団療育でした。
「送迎はないので、お母さんが送り迎えをしないといけないんですけどね」
片道、およそ30分。
送って帰ってくれば1時間。
また迎えに行って帰ってくれば1時間。
送迎だけで、一日に約2時間です。
正直、近くはありませんでした。
それでも相談員さんは、
「とても熱心なところがあります」
と教えてくれました。
自閉症の子どもへの支援にも詳しく、しっかり子どもを見てくれる先生たちがいる、と。
それなら、一度見てみたい。
そう思って、見学に行くことにしました。
実際に通い始めてから分かったのですが、本当に熱心なところでした。
特に印象に残っているのが、園長先生。
たくさんの子どもが通っているのに、
「この子は今、ここにつまずいている」
ということを、本当によく把握されていました。
見学の日、砂場から帰れなかったぱんだ
見学の日。
ぱんだは、砂場でほかの子どもたちと遊んでいました。
しばらくすると、先生が、
「おしまいですよー」
と声をかけます。
そして、
「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10」
ゆっくり数え始めました。
すると、ほかの子たちは遊びをやめて、すーっと次へ移動していきました。
……ぱんだ以外は。笑
ぱんだは、
「まだ遊びたい!」
と言わんばかりに、ひっくり返って大泣き。
みんなが切り替えていく中、一人だけ、
ギャーーーッ!!
でした。
今なら、
「あぁ、ぱんだらしいなぁ」
と思える光景です。
そんなぱんだを見た先生たちは、困った顔をするどころか、
「これは時間がかかるかもしれないね」
と言いながらも、前向きに受け止めてくれました。
そして、
「楽しんでいきましょう」
と言ってくれたんです。
そこには作業療法士の先生もいました。
個別療育にも作業療法士さんがいて、私は専門的に見てもらえることに安心感を持っていました。
だから、
「ここでもお願いしてみよう」
と思いました。
こうして、2022年1月。
ぱんだの小集団療育が始まりました。
最初は、たった2時間から
いきなり朝から夕方まで通ったわけではありません。
最初は週2回。
一日に2時間だけの利用を3回ほど経験して、そこから一日利用へ移っていきました。
ぱんだは、新しいことや新しい刺激が大好きです。
だから意外にも、小集団療育にはとても喜んで通っていました。
見学の日には、砂場から帰れなくてひっくり返っていたのに。笑
新しい遊び。
新しい先生。
新しい場所。
ぱんだにとっては、「療育に行く」というより、
新しい楽しい場所がひとつ増えた
くらいの感覚だったのかもしれません。
ぱんだだけのお弁当
一日利用になると、お昼ごはんも始まりました。
そこでは、コープの商品を使ったメニューが提供されていました。
でも、ぱんだには食物アレルギーがあります。
そのため、ぱんだだけお弁当を持参することになりました。
メニュー表をもらって、できるだけみんなと同じものを作って持たせていました。
なぜか、お煮しめの日が多くて。
あの頃の私は、
しょっちゅうお煮しめを作っていた気がします。笑
そんな小さなことも、今では懐かしい思い出です。
私は「4月から幼稚園」と思っていた
ただ、この頃の私は、小集団療育にずっと通わせるつもりではありませんでした。
私の中では、
2022年4月からは幼稚園。
それが当たり前でした。
1月には、幼稚園の面談も受けました。
ぱんだにはこんな特性があります。
こんなところが苦手です。
先生にもきちんと伝えました。
制服もそろえました。
必要なものも準備しました。
あとは4月を待つだけ。
小集団療育に通いながら幼稚園へ行く、ということすら、その頃の私は考えていませんでした。
4月からは幼稚園一本。
そこに個別療育を続けていく。
私の中では、もうその未来が出来上がっていたんです。
ところが。
その予定に、突然ストップがかかりました。
「今は、幼稚園を待ったほうがいい」
小集団療育の園長先生と心理の先生から言われました。
今のぱんだが、刺激の多い環境に入ると、
「誤学習につながる可能性がある」
という話でした。
当時のぱんだは、まだ切り替えることが難しかった。
やりたいことがあれば、そちらへ行ってしまう。
「おしまい」と言われても、すぐには終われない。
だからまず、もう少し丁寧に関わりながら、
「こういう時はこうする」
という経験を積んでから幼稚園へ行ったほうがいいのではないか。
そんな話だったと思います。
でも。
私は、すぐに、
「分かりました」
とは言えませんでした。
制服まで買ったのに
ショックでした。
本当に、すごく悩みました。
だって、もう全部準備していたんです。
幼稚園の面談も終わっていました。
制服も買いました。
4月から幼稚園に行く。
それは私の中で「予定」というより、
もう決まっている未来
だったんです。
その未来を突然、
「少し待ちましょう」
と言われた。
どうしたらいいのか分からなくなりました。
個別療育の先生にも相談しました。
泣きながら話したのを覚えています。
そのとき先生は、私の話を真剣に聞いてくれました。
そして、
ぱんだに丁寧に関わっていきたい
と言ってくれました。
その言葉は、当時の私にとって本当に大きなものでした。
小集団の先生たちも、個別療育の先生も、
ぱんだを実際に見て、ぱんだのことを考えて言ってくれている。
それは分かっていました。
それでも、
「これが正解!」
なんて、自信を持って決められたわけではありません。
不安でした。
寂しかったです。
それでも最後は、
ぱんだのためになるのなら。
そう思って、先生たちの言葉を信じることにしました。
4月の幼稚園入園を延期する。
私たちは、そう決めました。
入園式の日、幼稚園の横を通った
だからといって、
周りの子と比べて毎日落ち込んでいたわけではありません。
当時は同じ年頃の子と接する機会もあまりなくて、私は意外と「周り」を見ていませんでした。
でも。
入園式の日。
幼稚園の横を通りました。
そのとき、涙が出ました。
「行きたかったなぁ」
って。
本当なら今日、ぱんだもここにいたのかな。
買った制服を着て。
私も、ほかのお母さんたちと一緒に入園式に来ていたのかな。
ぱんだのために決めたことでした。
先生たちを信じて選んだ道でした。
それでも、
寂しいものは、寂しかった。
子どものために選んだことだからって、
母親の気持ちまで、すぐに追いつくわけじゃないんですよね。
「行かない」ではなく、「今は待つ」
4月から、小集団療育を週3回に増やしました。
個別療育は週2回。
幼稚園へ行くはずだった時間を使って、
ぱんだと先生たちは、一つひとつ練習していくことになりました。
切り替えること。
人の話を聞くこと。
自分の気持ちを伝えること。
お友達と一緒に過ごすこと。
生活の中の、本当に小さなことを一つずつ。
目標は、9月。
幼稚園への入園でした。
あの頃の私にはまだ分かりませんでした。
4月に幼稚園へ行かなかった、この5か月が、
ぱんだにとっても、
そして私にとっても、
とても濃い時間になっていくことを。
「行かせない」と決めたんじゃない。
ぱんだが自分のペースで一歩を踏み出せるように、少しだけ待つことにした。
今振り返ると、そんな5か月の始まりだったのだと思います。



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