前回の記事では、
小集団療育に通い始めたこと。
そして、4月から通うはずだった幼稚園への入園を延期したことを書きました。
面談も終わっていました。
制服もそろえていました。
あとは4月を待つだけ。
そんなところまで準備していたので、入園を延期するという決断は、私にとって簡単なものではありませんでした。
それでも、
「今のぱんだには、もう少し丁寧に関わる時間が必要なのかもしれない」
そう思って、先生たちを信じることにしました。
今回は、そのあとのお話です。
幼稚園へ行かなかった数か月。
ぱんだが何をしていたのか。
そして私が、どんな毎日を過ごしていたのか。
久しぶりに当時のノートを開きながら、振り返ってみようと思います。
正直、幼稚園のほうが私は楽だった
幼稚園は、家のすぐ近くにありました。
一方、小集団療育は片道30分ほど。
送って家に戻れば、それだけで1時間。
また迎えに行って帰ってくれば、さらに1時間。
送迎だけでも、かなりの時間がかかりました。
しかも、当時のわが家には、ほかにもいろいろなことがありました。
夫は体調を崩し、仕事を休み休み続けていました。
私は夫のことも心配でした。
義父の手術もあり、家族の付き添いが必要なこともありました。
あっちへ行って。
こっちへ行って。
その合間に、ぱんだの療育へ。
正直に言えば、
「近くの幼稚園に行ってくれたほうが、私はずっと楽なのに」
そう思ったこともあります。
幼稚園へ行かせたくなかったわけではありません。
むしろ、行かせたかった。
だからこそ、入園を延期すると決めたときは、あんなに悩みました。
それでも。
今のぱんだには、この時間が必要なんだ。
そう思って、踏ん張りました。
小集団療育は「楽しい場所」だった
2022年1月から始まった、小集団療育。
最初は短い時間から始めて、少しずつ一日利用へと移っていきました。
心配していた私とは反対に、ぱんだはとても楽しそうでした。
新しいことや、新しい刺激が大好きなぱんだ。
初めての場所にも喜んで通って、
帰る時間になると、
「まだ遊びたい!」
と泣くこともありました。
一日利用が始まると、お昼ごはんも始まりました。
そこではコープの商品を使ったメニューが提供されていましたが、食物アレルギーのあるぱんだは、お弁当を持参することになりました。
メニュー表をもらって、できるだけみんなと同じものを作って持たせていました。
なぜか、お煮しめの日が多くて。
あの頃の私は、
しょっちゅうお煮しめを作っていた気がします。笑
そんなことも、今では懐かしい思い出です。
「できた」が、ひとつずつ増えていった
久しぶりに当時のノートを読み返してみると、
そこには私が忘れていた、小さな「できた」がたくさん残っていました。
トイレに行きたいことを、自分から伝えられた日。
お友達にぶつかってしまい、相手が作っていたものを壊してしまったときに、
「ごめんね」
と言えた日。
個別療育で、写真と同じものを探す課題ができた日。
長めの絵本を、座って聞けた日。
お弁当を全部食べられた日。
そのひとつひとつに、
「良かった」
「一歩前進」
そんな私の言葉が残っていました。
今の私なら、すっかり忘れてしまっているような、小さな出来事ばかりです。
でも、あの頃の私にとっては、
ひとつできるたびに、
ちゃんと嬉しかったんだと思います。
できないことには、理由があった
もちろん、いつも順調だったわけではありません。
みんなが座っているのに、一人だけ座れないこともありました。
集団から離れてしまうこともありました。
お友達が近づいてくると、逃げてしまうこともありました。
でも先生たちは、
「座りなさい」
「みんなと一緒にしなさい」
と、ただ行動だけを直そうとはしませんでした。
ある日の集団活動。
みんなが座っている中、ぱんだだけ立っていて、なかなか座ろうとしなかったそうです。
先生が理由を聞くと、
ぱんだは、
「ママがいい」
と答えました。
先生がその気持ちを受け止めて、
「園長先生に伝えておこうね」
と話すと、
ぱんだは気持ちを切り替えて、活動に参加できたそうです。
座らない。
逃げる。
泣く。
大人から見れば「困った行動」に見えることでも、
その子の中には、その子なりの理由がある。
その理由を分かってもらえるだけで、
次へ進めることもある。
私は療育を通して、
そんなことを少しずつ教えてもらいました。
「ダメ」だけではなく、どうしたらいいのかを伝える
個別療育でも、先生たちからたくさんのことを教えてもらいました。
物を投げたとき。
ただ、
「投げたらダメ」
で終わらせるのではなく、
なぜ投げたのかを考える。
退屈だったのか。
嫌なことがあったのか。
遊びたかったのか。
そして、投げたいのであれば、
投げてもいいボールを使って遊ぶ。
片付けが嫌なら、
いきなり全部を求めるのではなく、まず一つ一緒に片付けてみる。
できたら、ちゃんと褒める。
突然、
「帰るよ」
ではなく、
「あと○回したら帰ろうね」
と、先に終わりを知らせる。
今の行動をただ止めるのではなく、
「じゃあ、どうしたらいいのか」まで教える。
当時のノートには、
「肯定的な注目」
という言葉も残っていました。
できなかったことだけではなく、
ほんの少しでもできたところを見つける。
そこに目を向ける。
ぱんだが療育を受けていたけれど、
今振り返ると、
私も一緒に、ぱんだとの関わり方を教えてもらっていたんだと思います。
あの頃は、手をつなぐこともできなかった
そして今回、昔のノートを読み返していて、
「そうだった」
と思い出したことがあります。
あの頃のぱんだは、
私と手をつなぐことも難しかったんです。
手をつなごうとしても嫌がって、すぐに離してしまう。
それなのに、
目に入ったものが気になると、そこへ一直線。
買い物でも。
病院でも。
「あっ」
と思ったときには、もう走り出していました。
「ストップ!」
「待って!」
そう呼んでも、そのときのぱんだには届かない。
車が来ていても関係なく行ってしまう。
人がいても、そのまま走っていく。
どこへ行くのか分からない。
人にぶつかって、けがをさせてしまうかもしれない。
ぱんだ自身が、大きなけがをするかもしれない。
だから私は、ハーネスを買いました。
子どもにハーネスを使うことには、いろいろな考え方があると思います。
でも、当時の私たちには必要でした。
手をつないで歩けばいい。
「危ないよ」と言えばいい。
そんなことが、まだ難しい時期でした。
しつけのためでもなく、
私が楽をするためでもなく、
この子を守るために。
まずは無事に、一緒に家へ帰るために。
あの頃は、外へ出ることひとつにも、ずっと気を張っていました。
それなのに。
私は今回ノートを見るまで、
手をつなげなかったことさえ、すっかり忘れていました。
幼稚園には、少しずつ近づいていった
入園を延期したからといって、
幼稚園から完全に離れていたわけではありませんでした。
個別療育で利用していた「保育所等訪問支援」。
個別療育の先生に付き添ってもらいながら、
少しずつ幼稚園へ行く機会を作っていました。
最初は先生のそばから離れなかったぱんだも、
少しずつ遊べるようになりました。
お誕生日会にも参加しました。
運動会の練習にも、少しだけ参加しました。
最初は輪の外から見ていたのに、
途中から自分で輪の中に入っていったこともありました。
大きな音や音楽が苦手で、
耳をふさいでいたこともありました。
初めてのプールでは、
楽しくて楽しくて、最後まで出たくなかったことも。
できることもあれば、
まだ難しいこともある。
参加できる日もあれば、
少し離れたところから見ている日もある。
それでも、
ぱんだは少しずつ、
自分のやり方で幼稚園という場所に近づいていました。
今振り返ると、
幼稚園を延期した数か月は、
幼稚園から遠ざかった時間ではなかったんですね。
幼稚園へ行くために、急がず近づいていった時間でした。
そして、2022年9月
2022年9月5日。
ぱんだは、幼稚園へ初登園しました。
4月には行けなかった幼稚園。
入園式の日、その横を通りながら、
「行きたかったな」
と涙が出た幼稚園。
そこへ数か月遅れて、
ぱんだはようやく通い始めました。
翌日は、まさかの台風で休園でした。笑
出だしから予定どおりにはいかなかったけれど、
こうして、
ぱんだの幼稚園生活が始まりました。
あの頃、つなげなかった手を
今回、昔のノートを開いたことで、
私はひとつ、大切なことを思い出しました。
あんなに手をつなぐことを嫌がっていた、ぱんだ。
そのぱんだは今、
夜になると、
私と手をつないで眠ります。
それがあまりにも当たり前になっていて、
昔は手をつなぐことすら難しかったなんて、
私はすっかり忘れていました。
少し前の朝。
ぱんだが、
「ママのおててがなくて、こわかった」
と言ったことがありました。
寝るときには、いつものように手をつないでいた。
でも、目が覚めたら、
私の手がなかった。
それが不安で、怖かったんだそうです。
そのときの私は、
「そんなに手が好きなんだ」
くらいに思っていました。
でも今回、
昔のノートを読み返して、
気づきました。
あの頃は、この手をつなぐことさえできなかったんだ。
嫌がって離していた手が、
今では、
なくなると不安になるくらい、
ぱんだにとって安心するものになっていました。
いつからだったんだろう。
いつ、
手をつなげるようになったんだろう。
私は、その瞬間を覚えていません。
きっと、
少しずつだったんだと思います。
成長って、
「できた!」
と大喜びするものばかりじゃないんですね。
いつの間にかできるようになって、
いつの間にかそれが当たり前になって、
できなかった頃のことさえ、
忘れてしまう。
今回、昔のノートを開かなかったら、
私はずっと忘れたままだったかもしれません。
あの頃、
つなげなかった手を。
今は毎晩、
当たり前のようにつないでいます。
幼稚園への入園を待ったことも。
毎日の送迎も。
ハーネスをつけて歩いていた日々も。
泣いた日も。
「できた」と喜んだ日も。
あの頃は、
目の前の一日を過ごすことで精いっぱいでした。
でも今振り返ると、
どの日もちゃんと、
今のぱんだにつながっていたんだなと思います。
急がなくても、
すぐにできなくても。
ぱんだはずっと、
ぱんだの速さで進んでいました。
そして私も、
その隣を一緒に歩いていたんだと思います。
今日も、ゆっくり。
あの頃も今も、
私たちはきっと、
それくらいでちょうどいい。



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