療育って、なに?私たちの、はじめの一歩

発達・療育

「療育って、なに?」から始まった。ぱんだの未来のために、私が最初にしたこと

以前の記事で、ぱんだの発達が気になり始めてから、自分で動いて病院につながり、診断を受けるまでのことを書きました。

今回は、その続きです。

診断を受けたあと、私たち親子がどうやって「療育」につながっていったのか。

今では、
「個別療育」
「児童発達支援」
「相談員さん」
なんて言葉を使っていますが、当時の私は、どれもよく分かっていませんでした。

「療育って、なに?」

本当に、そこからのスタートでした。

最初は「つま先立ち、なおらんかなぁ」から

小さい頃から、つま先立ちをすることが多かったぱんだ。

最初は、

「つま先立ち、なおらんかなぁ」
「リハビリみたいなこと、してもらえたりしないのかなぁ」

そんな気持ちでした。

気になって、ネットでもいろいろ調べました。

でも、調べれば調べるほど、心配な情報も目に入ってきます。

これから身体に影響が出るのかな。
何かしてあげたほうがいいのかな。

いろんなことが書いてあるけれど、

「で、ぱんだの場合はどうなんだろう?」

そこが、どうしても分かりませんでした。

画面の中に答えを探しては、また別のことが気になる。
そんなことを繰り返していたように思います。

バラバラだった困りごとが、少しずつつながった

神経科の先生には、つま先立ちだけでなく、普段の生活で困っていることも相談しました。

言葉のこと。
突然走り出してしまうこと。
気持ちを切り替えるのが難しいこと。

小さい頃から気になっていたことを、ひとつずつ。

先生と話していくと、言葉の遅れや衝動性、感覚のこと、こだわりなど、いろいろな話が出てきました。

「わぉ……そんなに!?」

正直、そんな気持ちもありました。

でも、それと一緒に、

「……そうか。だから大変だったのか」

と、少し納得できたところもあったんです。

買い物に行くだけでも、ひと苦労。

外では突然走り出すし、うまく言葉で伝えられないと、身体いっぱいで気持ちを表現する。

そのたびに、私も必死でした。

それまで別々に感じていた困りごとが、先生と話すことで、少しずつつながっていくような感覚がありました。

ぱんだも、うまく伝えられずに困っていたのかな。

そうやって、ぱんだの姿を見つめ直すきっかけにもなりました。

先生が描いてくれた「でこぼこの道」

初めて説明を受けたとき、先生は紙に絵を描きながら話してくれました。

その紙は、今でも取ってあります。

私の記憶に残っているのは、こんなお話です。

先生は、子どもをひとつの「丸」で表して説明してくれました。

その丸には、でこぼこがある。
そのでこぼこは、その子が抱えている「困りごと」。

小さいうちは、通り道が広いので、でこぼこがあっても通っていける。

でも、大人になるにつれて、求められることが増え、通り道は少しずつ狭くなっていく。すると、それまで通れていたところでも、でこぼこが引っかかって、進みにくくなることがある。

だから、療育や訓練、必要に応じて薬などの力も借りながら、その困りごとを小さくして、道を通りやすくしていく。

早い段階から、その子に合った支援や練習を重ねることが、これからの歩きやすさにつながっていく。

私は、そんなふうに受け取りました。

当時は、全部を理解できたわけではありません。

今、紙を見返して、

「あぁ。先生が言っていたのって、こういうことだったのかな」

と思うこともあります。

でも、あのときの私にも、ひとつ心に残ったことがありました。

小さいうちから、ぱんだに合った支援につながっていきたい。

まずはそこから、と思いました。

ぱんだの未来は、この先も続いている

当時の私は、発達障害についての知識もほとんどありませんでした。

自閉スペクトラム症についても、十分に理解できていなかったと思います。

だから診断を受けたときは、ぱんだのこれからが、急に見えなくなったような気持ちもありました。

でも、先生の話を聞くうちに、

高校へ行く未来もある。
大学へ行く未来だってある。

ぱんだには、ぱんだなりの未来が、この先も続いているんだ。

そう思えるようになりました。

もちろん、どんな道を選ぶかは、これからのぱんだ次第。

ただ、その道を歩くときに、困ることを少しでも減らしてあげたい。

今、できることがあるなら、やっておきたい。

そんな気持ちが、少しずつ大きくなっていきました。

「それ、どうやって探したらいいんですか?」

療育を受けることに、抵抗はありませんでした。

ぱんだのためになるなら、受けられる支援を知りたい。
そう思っていました。

ただ、何にも分からないんです。

個別療育って何?
小集団療育って何?
どこにあるの?
誰に相談したら、利用できるの?

分からないことだらけだったので、市の発達相談で、たくさん質問しました。

診断書を提出したあと、私たちの場合は、個別の支援と小集団での療育、どちらも利用していくことを勧められました。

そこで私が聞いたのは、

「それ、どうやって探したらいいんですか?」

本当に、そこからでした。

いろいろな施設を見学して、ぱんだに合いそうなところを探していく。

そう教えてもらっても、当時の私には、その「合いそう」がまだ分かりません。

だから、とりあえずひとつだけ、探すときの目印を決めました。

「作業療法士さんがいるところがいい!」

つま先立ちのことを相談できるかな。
身体の使い方も見てもらえるかな。

そんな、当時の私なりの考えでした。

その小さな目印を頼りに探して、ひとつの事業所に出会いました。

そこが、その後ぱんだが長くお世話になる、個別療育の場所になりました。

分からないまま、ひとつずつ

今振り返ると、

「よくあんなに動いたなぁ」

と思います。

分からないから、調べる。
調べても分からないから、聞いてみる。
それでも分からなければ、また別の人に聞いてみる。

そうやって、ひとつずつ進んでいました。

何が正解かなんて、分かりませんでした。

自分の選んだ場所が、ぱんだに合っているのか。
ほかにもできることがあるのか。

迷うことも、たくさんありました。

それでも、

「この子の未来のために、今できることをしよう」

その気持ちが、私を動かしていたんだと思います。

そして、このときの私は、まだ知りませんでした。

見学した先で、「相談員さん」という存在を初めて知ること。

その出会いから、支援につながる道が広がっていくこと。

片道30分かけて、小集団の療育へ通うようになること。

そして、ぱんだだけでなく、私自身も、

「この子と、どう関わったらいいんだろう」

という戸惑いを、一緒に考えてもらえるようになること。

まだ知らない出会いが、この先にたくさん待っていました。

あの頃の私へ

もし今、あの頃の私に会えるなら。

検索しては不安になって、分からないことだらけのまま、あちこちに聞いて回っていた私に。

こう言ってあげたいです。

「ホントによく頑張ってるよ。
自分から動いて、よかったよ。

この先、一緒にぱんだのことを考えてくれる人たちに、ちゃんと出会えるからね。」

あの頃は、目の前のことだけで精いっぱいでした。

でも、あのとき聞いてみたこと。
相談してみたこと。
見学に行ってみたこと。

そのひとつひとつが、今の私たちにつながっています。

ぱんだのできることが、少しずつ増えて。

私にも、ぱんだの気持ちが少し分かる瞬間や、関わり方の引き出しが増えてきました。

今も迷うことはあるけれど、相談できる人がいる。

それは、あの頃の私がまだ知らなかった、大きな心強さです。

「療育って、なに?」

そんなところから始まった、私たちの療育の記録。

次は、そこで出会った人たちのことも、ゆっくり書いてみようと思います。🌱

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