ひとりじゃなかった、誕生日。

小さな幸せ

ひとりじゃなかった、誕生日。

夫がいなくなってから、

少しだけ、
ワクワクするようなイベントが苦手になりました。

誕生日とか、
旅行とか、
家族で出かける日とか。

本当は楽しみたいし、
子どもたちにも楽しんでほしい。

喜ばせたいし、
私だって笑っていたい。

でも、楽しいはずの時間ほど、

「ああ、夫はいないんだな」

って、
改めて思い知らされることがあります。

前に家族で旅行へ行った時もそうでした。

行く前は、ちゃんと楽しみでした。

準備をしながらウキウキして、
当日も楽しく過ごしました。

笑って、
食べて、
遊んで。

ちゃんと楽しかったんです。

なのに、次の日の朝。

目が覚めたら、
急にものすごく悲しくなりました。

夫がいないことが、
どうしようもなくつらくなって。

早く家に帰りたいと思いました。

楽しかったからこそ、
そこに夫がいないことが、
余計にはっきり見えてしまったのかもしれません。

そんなことがあったからなのか、

今年のぱんだの誕生日も、
少し気持ちが落ち気味でした。

毎年、誕生日の前日の夜。

子どもたちが寝てから、
こっそり飾り付けをして。

写真を飾って、
プレゼントを準備して。

朝起きてきた時に、

「わぁ✨」

ってなるのを見るのが、
私は好きでした。

でも今年は、
夜のうちにそこまでやる元気がなくて。

まあ、
学校に行っている間にやればいいか。

そんなふうに思っていました。

やりたくないわけじゃない。

お祝いしたい気持ちは、
ちゃんとある。

ただ、
いつものような気合いが入らない。

そんな感じでした。

誕生日の当日の朝、
ぱんだが起きてすぐ、

「前は、○○もらったよね」

とか、

「前、こんなふうに飾り付けしてくれてたよね」

とか、

昔の誕生日のことを話し始めました。

そして、

「パパ、優しかったよね……」

と。

「そうだね」

と答えたら、

「写真もあったもんね……」

って。

…………。

いや。

それ、
ママが印刷してたやつーーー!!😂

そこは即、訂正させてもらいました。

「それママがやってた!!」

って。

たぶん、ぱんだの中では、

毎年、朝起きたら
もう部屋がお祝いムードになっていて、

飾り付けもしてあって、
写真も並んでいて、
プレゼントもあって。

それが今年は、
朝起きてもまだ何もなかった。

だから、

「あれはパパがやってくれてたんだ」

と思ったのかもしれません。

いやいや。

実はママでした😂

でも。

そんなふうに、
ぱんだが今までの誕生日を
ちゃんと覚えてくれていたことが、

なんだか嬉しくて。

ああ。

あれ、嬉しかったんだ。

楽しみにしてくれてたんだ。

そう思ったら、

カチッと。

少しだけ、
私の中のスイッチが入りました。

今年もやろう。

そう思いました。

本当は今年、
写真はもういいかなと思っていました。

毎年、
この一年で撮った写真を選んで、
印刷して。

一年の成長が見えるように
飾っていました。

でも、
ぱんだの言葉を聞いて、

やっぱり今年もやろう。

そう思って、
写真を探し始めました。

一年分の写真を見返して、

大きくなったな。

こんなこともあったな。

そんなふうに思いながら。

でも。

写真を探しているうちに、

やっぱり、
夫がいないことも目に入りました。

去年まであった姿が、
今年はない。

家族の写真を見返すって、
嬉しいだけじゃないんだなと思いました。

成長が嬉しい。

思い出が愛しい。

でも、
同じくらい寂しい。

そんな気持ちが、
ずっと一緒にありました。

その朝。

バス停でバスを待っている時、
近所の人に会いました。

ぱんだは嬉しそうに、

「今日、僕誕生日だよー」

と話しかけていました。

みんなにお祝いしてもらって、
大喜びのぱんだ。

その中の一人に、
今年の4月に近くへ引っ越してきた方がいます。

夫が亡くなったのは3月。

だから、
その人と出会った頃の私は、

今よりもっと、
本当にボロボロでした。

今でも十分ボロボロなんだけど。

あの頃は、
もっと。

記憶もおぼろげで。

自分でも、
何を話したか覚えていないことがあったり。

気持ちも、
上がったり下がったり。

本当に、
超絶不安定でした。

そんな私を、

ランチに誘ってくれたり。

お家に呼んでくれたり。

何気ない話をしてくれたり。

ずっと、
普通に接してくれました。

正直なことを言うと、

最初は少し、
戸惑いもありました。

人との距離が近くなることが、
なんだか怖かったんです。

こんなに仲良くなって、
大丈夫かな。

あとでしんどくならないかな。

そんなふうに、
少し警戒していたところもありました。

でも。

変わらず、
あたたかく接してくれて。

気づけば、
すっかり仲良くなっていました。

朝、バス停で話したあと。

しばらくして、
その人から連絡がきました。

「りんごやぶどうがあるから、持っていくよ」

って。

ぱんだの誕生日だから、
持ってきてくれようとしていました。

買い物に行く前だったので、

「私が行ってもいい?」

と、
お家に寄らせてもらいました。

そして。

何を思ったのか、
私はその人に、

「ハグしてもらっていい?」

ってお願いしました。

普段なら、
たぶん言わないと思います。

でもその日は、
どうしても誰かに抱きしめてもらいたかったんだと思います。

ぎゅっとしてもらった瞬間。

涙が、

ぶわーっと出ました。

自分でもびっくりするくらい。

そして、

「こはるちゃん、大好きだよ。

こはるちゃん、本当によく頑張ってるよ」

って言ってくれました。

その言葉を聞いて、

また泣きました。

私はたぶん、

頑張ってるって言ってほしかったんだと思います。

大丈夫だよでもなく。

元気出してでもなく。

前を向いてでもなく。

ただ、

「よく頑張ってるよ」

って。

それだけで、
なんだか少し力が戻りました。

ぱんだの誕生日なのに。

元気をもらったのは、
私のほうでした。

そのあと買い物へ行って、

飾り付けをして。

写真を並べて。

プレゼントを包んで。

誕生日の準備をしました。

そして夜。

母も、
ぱんだのプレゼントを持って
来てくれました。

義父母も一緒に、

みんなでぱんだの誕生日を
お祝いしました。

ご飯を並べたり。

必要なものを持ってきたり。

周りを見ながら動いたり。

母は、
特別何かを言うわけでもなく、

自然に、
あれこれ動いてくれていました。

その姿を見ていて、

ふと、

「ああ、こういうこと、
夫がしてくれてたな」

と思いました。

誕生日会の時も、

私が子どもたちのことをしている横で、

足りないものを持ってきたり、
片付けたり、
誰かに声をかけたり。

夫は、
いつも自然に動いてくれていました。

今年は、
その人がいない。

本当なら、

その空いた場所が
すごく目につくはずだったのかもしれません。

でもその日は、

母がそこにいてくれて。

何も言わずに、
自然に動いてくれて。

気づけば私は、

誕生日会の最中、
思っていたほど強く
寂しさを感じずにいられました。

もちろん、

夫がいたわけではありません。

代わりなんて、
誰にもできません。

それでも。

空いてしまったところに、

誰かがそっと手を添えてくれることって
あるんだなと思いました。

いつもの年と、
まったく同じではありませんでした。

夫はいないし。

私は途中で泣くし。

朝から完璧な飾り付けもできなかった。

でも。

ぱんだが覚えていてくれたこと。

今年もやろうと思えたこと。

しんどい日に、
抱きしめてくれる人がいたこと。

母が来てくれて、
一緒にぱんだを祝ってくれたこと。

義父母も一緒に、
みんなで誕生日を囲めたこと。

今年の誕生日は、

「去年までと違う」

だけじゃなかったんだと思います。

夫がいない寂しさは、
やっぱりあります。

これからも、
きっと何度もあると思います。

でも。

ひとりではありませんでした。

今年の4月。

あの人が、
ここに引っ越してきてくれてよかった。

出会った頃、
あんなにボロボロだった私と
仲良くしてくれて。

今も変わらず、
そばにいてくれて。

そして。

ぱんだの誕生日に、
母が来てくれてよかった。

みんなで、
ぱんだをお祝いできてよかった。

夫がいなくなってから、

「いない」ということばかりに
目が向く日があります。

でもこの日は、

「いてくれる人」も、
たくさんいた日でした。

ぱんだの誕生日の日。

そんなことも、

忘れずに覚えていたいと思いました。

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