今日、ぱんだのお茶碗を買いました。
今まで使っていたのは、
ずっと小さい頃から使っていたプラスチックのお茶碗。
赤ちゃんの頃から使えるようなもので、
軽くて、割れなくて、
気づけばずいぶん長いこと使っていました。
でも、ぱんだももう小学生。
最近、少しずつ思うようになりました。
高価なものでなくていい。
ただ、毎日使うものを、
「これ、素敵だな」
と思えるものに少しずつ替えていけたらいいな、と。
好きなものに囲まれて暮らすって、きっとこういう小さなところからなんだろうなと思って。
今日見つけたお茶碗は
お茶碗の中ではお手頃なものでした。
それでも私には、「これ、いいな」と思える
ちょっと素敵なお茶碗でした。
ぱんだに使ってもらおう。
そう思って買って帰ってきて。
まずは一度洗っておこう、と洗ったその時。
割りました。
あっさり。
本当に、あっさり。
一度も。
一度もご飯を入れることなく。
割りました。
…………悲しい。
ものすごく悲しい。
せめて一回くらい使わせてよ。
炊きたてのご飯くらい、一回くらい盛らせてよ。
そんなことを思いながら
割れたお茶碗を見ていました。
でも。
少しして、ふと思いました。
こんなに簡単に割れたのなら
もしかしたら
ぱんだが使っている時に割れていた可能性だってあったのかもしれない。
もし、ご飯を食べている時だったら。
もし、ぱんだが持っている時だったら。
手を切っていたかもしれない。
そう考えたら
「ああ、今でよかったのかも」
と思いました。
そして、もうひとつ。
夫が、
「それ、ぱんだに使わせんほうがいいよ」
って教えてくれたのかもしれないなぁ。
なんて。
もちろん、本当のことは分かりません。
ただ、そう思ったら、
さっきまでただ悲しかった出来事が、
ほんの少しだけ、あたたかくなりました。
夫がいなくなってから
こういう時にときどき思います。
「あれ、もしかして教えてくれた?」って。
偶然なのかもしれないし
私がそう思いたいだけなのかもしれない。
それでもいいんです。
その考え方で、
悲しかった心が少しやわらかくなるのなら。
今日買ったお茶碗は
ぱんだのご飯を一度も盛ることなく
役目を終えてしまいました。
悔しいけど。
ものすごく悔しいけど。
もしかしたら、
ぱんだにご飯を食べさせる役目ではなく、
ぱんだが怪我をする前に
「これはやめとこう」
と教えてくれる役目だったのかもしれません。
そういうことにしておこう。
そしてまた、
ぱんだと一緒に使いたくなるような素敵なお茶碗を探そうと思います。
毎日の暮らしの中に
少しずつ好きなものを増やしていくこと。
今日のお茶碗は割れてしまったけれど
そうやって暮らしたいと思った私の気持ちまで
一緒に割れたわけじゃないから。
今日も、ゆっくり。
またひとつ、お気に入りを探そうと思います。



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