生まれたその日に、離れ離れになった。ぱんだの出産のこと

ぱんだの成長

ぱんだは、生まれつき心臓に病気があります。国の指定難病にも含まれている、とても珍しい先天性の心疾患です。

妊娠中には病気のことは分からず、それが分かったのは、ぱんだが生まれた直後のことでした。

こじかの出産とは、まったく違った始まり

こじかを出産したときの分娩時間は、52時間。

陣痛が始まっても子宮口がなかなか開かず、バルーンを入れて、何日もほとんど眠れないまま、叫びながらの出産でした。

そんな長時間の出産とは違い、ぱんだの出産は突然始まりました。

その日の朝も、いつも通り。

仕事へ行くパパに「いってらっしゃい」のキスとハグをして見送り、私はソファーに腰掛けました。

その瞬間、お腹の中から、

ぐいーーーーーーーーっ!

と、足で力強く蹴られたのが分かりました。

その少し後、ちょろちょろ……と水が出てきました。

「もしかして、破水かも!」

確認すると、夫はまだ車の中。

仕事へ出発する前でした。

急いで連絡し、急きょ仕事をお休みしてもらって、病院へ連れて行ってもらいました。

診察の結果、やっぱり破水。

しかも、前回の出産とは違って、子宮口もだいぶ開いているとのことでした。

促進剤を使うと、あっという間に「いざ出産!」という状況に。

あまりにも急で、私の気持ちが追いつきませんでした。

力んでも、力んでも、なかなか出てきてくれなくて。

最後は吸引してもらい、ぱんだは生まれました。

「心臓に雑音があります」

出産後、しばらく処置をしてもらっていると、助産師さんと先生が何やらバタバタとしていました。

そして、私に説明がありました。

「心臓に雑音があります。救急搬送します」

不安そうにしている私に、先生は優しく言ってくれました。

「何もないと思うけど、念のためよ。念のために診てもらいましょうね。今日、そのまま帰ってくるかもしれないし」

その言葉に少し安心して、ぱんだと一緒に向かった夫からの連絡を待つことにしました。

でも、いくら待っても連絡がありません。

付き添っていた看護師さんは病院へ戻ってきているのに、夫とは連絡がつかないまま。

電話をかけても、電源が切れていました。

何が起きているのか分からない。

不安なまま時間だけが過ぎていき、辺りが暗くなった頃、ようやく夫から連絡がありました。

最初に搬送された大きな病院では診ることができず、さらに別の病院へ救急搬送されていたそうです。

そこでさまざまな検査を受けた結果、先天性の心疾患があることが分かりました。

「2〜3日中に、一度大きな山が来る」

「そのときに持ちこたえてくれればいいけれど、手術になる可能性もある」

そう説明されたそうです。

あのとき、夫はどんな気持ちだったんだろう

私はまだ、出産を終えたばかりで、ベッドの上で休んでいただけでした。

でも夫は、たった一人で、次々と変わる状況や、重い説明を受けていました。

あのとき、どんな心境だったんだろう。

きっと、生きた心地がしなかっただろうな。

辛かったよね。

私にどう話そう。

何て伝えよう。

きっと、たくさん悩んでいただろうなと思います。

「私の弟なのに、なんで?」

病気のことを知ってから、私がずっと心配していたのは、こじかのことでした。

ぱんだが生まれたら、すぐに会いたい。

ずっと、ずっと楽しみにしていたこじか。

病院へ会いに来ても、ここに弟はいません。

きちんと説明しないと、こじかは納得できないだろうと思いました。

夫に、義父母とこじかへの説明をお願いしました。

こじかは、

「なんで?なんで!?私の弟なのに、なんで!?」

と、泣き叫んでいたそうです。

本来なら、出産した日は夫も一緒に付き添いで泊まれる予定でした。

でも私は、こじかのことが心配でたまらなかったので、こじかのそばにいてほしいとお願いしました。

それでも夫は、一人で病室にいる私のことも心配だったようです。

こじかを寝かしつけ、義母にお願いして、私のもとへ来てくれました。

不安そうにしている私を見て、

「やっぱり来てよかった……」

そう言ってくれたことを、今でも覚えています。

夫はいつも、私のことを一番に考えてくれていたな。

赤ちゃんの泣き声が響く病院で

産婦人科には、当たり前のように赤ちゃんの泣き声が響いていました。

でも、私の隣には、いるはずの息子がいません。

それが、とても辛かった。

3時間おきの授乳の時間には、ほかのお母さんたちが集まって、授乳の仕方を教えてもらったり、赤ちゃんの話をしたりしていました。

私は栄養指導のため、その授乳の時間に一度だけ参加しなければなりませんでした。

赤ちゃんを抱っこするお母さんたちの中に、赤ちゃんのいない私が一人。

とても肩身が狭く感じました。

おっぱいを飲んでいる赤ちゃんたちを見ると、かわいいと思う反面、どうしようもなく悲しくなりました。

辛くて、目を背けたくなりました。

赤ちゃんはここにいないのに、私のおっぱいは出るようになっていました。

それでも、

「退院してきたときに、おっぱいを飲ませてあげたい」

「この母乳を絶やすわけにはいかない」

そう思いました。

夫に母乳パックを買ってきてもらい、3時間おきに搾乳をしては保存しました。

「こはるちゃん、大丈夫よ」

義父母が、お見舞いに来ると言ってくれました。

でも私は断りました。

なぜか、会わせる顔がないような気持ちになっていました。

それでも、義父母は来てくれました。

「こはるちゃん、大丈夫よ」

そう言ってくれたことを覚えています。

あのときの私は、その一言に救われていたのだと思います。

初めてぱんだに会えた日

入院中、一度だけ、ぱんだのいる病院へ行くことができました。

産後3日目。

体はきっとボロボロだったはずなのに、「ぱんだに会える」と思うと動けました。

先生にも会い、直接説明を受けることができました。

そして、山場だと言われていた期間を、ぱんだは無事に乗り越えてくれました。

手術もせずに済みました。

本当に、本当によかった。

小さな体で、生きてくれていた

ぱんだは、たくさんの管につながれていました。

抱っこをするのも大変でした。

それでも、本当に小さくて、かわいくて。

会えたことが嬉しかった。

愛しかった。

小さな体で、必死に生きてくれている姿が、たまらなく愛しかった。

私が病院へ行ったところで、できることはほとんどありません。

それでも会いたかった。

会いたくて、会いたくて。

毎日でも会いに行きたかった。

抱っこをしながら、何度も思いました。

このまま連れて帰りたい。

一緒に家へ帰りたい。

でも、ぱんだはまだ病院で頑張らなければなりませんでした。

私はぱんだを残して、一人で産婦人科へ戻りました。

家族みんなで一緒に帰れる日を願いながら。

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